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定年退職を続々と迎える団塊世代。 定年退職後の生活費はいくらかかる? 年金はどうやって確認したらいい? 定年退職しないで、まだまだ働くにはどうしたらいい? 趣味と実益を兼ねて 有益な情報をお届けします。
「ブラック・ジャック」は、手塚治虫にとって、特別な作品なんですよね。
団塊世代の私らにとっても手塚はやはり特別な存在ですが、
とはいえ、後年の苦しさも見ていたわけです。
「ブラック・ジャック」は1973年11月19日号~1983年10月14日号にかけて『週刊少年チャンピオン』
(秋田書店)に連載(1979年以後は読切掲載)。医療漫画の元祖かつ金字塔として知られていますが、
かつては少年マンガでトップクラスの人気を誇った手塚も、1960年代の終盤になると少年マンガの分野では
既に過去の漫画家と見なされていた手塚治虫。
そのころは、大人マンガを描いたり、青年誌に進出するなど自らの方向性を模索していた感じはありましたね。
経営していた虫プロダクションの倒産、少年マンガでのヒット作を生み出せず、
どこの雑誌社も扱おうとせず、手塚治虫はこの時期、最大の危機を迎えていたとも言えます。
そこで、当時の週刊少年チャンピオン編集長の壁村耐三が手塚の花道を飾ろうと、
数回分の連載枠を用意したのが連載開始のきっかけと言われています。
当然、引退作品になる予定だったため、「手塚治虫漫画家生活30周年記念作品」として宣伝されたのですが、
連載開始が開始されると読者の反響も良く、3週目で連載の続行が決定。
その後も安定した人気を獲得し結果として長期連載となったわけです。
※だから、設定などに無理な部分が多いと指摘する声もあるようですね。
とはいえ、少年マガジンで連載した『三つ目がとおる』とともに
手塚治虫の少年マンガにおける1970年代の最大のヒット作であり、
少年マンガにおける手塚の最後のヒット作になったのがこの「ブラック・ジャック」でした。
本作のヒットによる復活がなければ、手塚治虫の名は、
国民的なマンガ家にまではならなかっただろうとも言えます。
最近は、当時の資料なども出てきたようで。
やはり、伝説的な作品と言えますよね。
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2007.09.28 | Comments(0) | Trackback() | 定年後趣味・興味
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