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定年退職を続々と迎える団塊世代。 定年退職後の生活費はいくらかかる? 年金はどうやって確認したらいい? 定年退職しないで、まだまだ働くにはどうしたらいい? 趣味と実益を兼ねて 有益な情報をお届けします。
団塊世代の私らも、やはりこうしたニュースには
沸いてしまいますね~。
オシムさんが倒れた中、意地を見せた反町監督。
時代を動かす主役は、やはり若い力なんだな、と感じさせてくれました。
さて、そのへんは反町監督の過去の経歴を見ると
なんとなく理解できます。
反町康治(そりまち やすはる・1964年3月8日生まれ・43歳)。
埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身の元プロサッカー選手。
サッカー指導者・監督解説者を経て、現在は北京五輪サッカー日本代表監督。
現役時代のポジションはMF。既婚。妻は元客室乗務員。一児の父。
全日空の社員契約ながらJリーグの試合に出場したことで
当時は「サラリーマンJリーガー」として注目された反町。
1994年に全日空を退社してプロ契約でベルマーレ平塚
に移籍し、チーム躍進の原動力として活躍した後、
1997年で現役を引退。
その後はNHK衛星放送やスカイパーフェクTV!などの
サッカー解説者を経てスペインでサッカーのコーチング留学。
サポーターにスタジアムに足を運んでもらうように積極的に奔走。
サッカーに関心が無いと言われた新潟で、1試合の平均入場者数を
3万8千人以上の人気クラブまで成長させた。
※この数字は熱狂的サポーターで知られる浦和レッズを抜き、
2003年から3年連続で入場者数リーグ1位を記録したほど。
2006年5月29日、北京オリンピック日本代表監督に決まり、
ドイツW杯終了後に正式契約することが川淵三郎キャプテンから正式発表。
2007年8月、五輪予選の成績不振のためA代表コーチを解任。
その後の北京五輪出場権をかけて争った最終予選最終・
サウジアラビア戦に引き分けて五輪出場権が決まった後、
「予選は苦しい戦いが続きましたが、北京にいけます!!!」と
感涙しつつコメント。
地道な努力が実を結ぶ姿は、見ていてすがすがしいですね~。
暗い影の落ちていた日本のサッカー界への朗報。
若い力で、まだまだ頑張ってほしいですね。
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2007.11.22 | Comments(0) | Trackback() | 定年後趣味・興味
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