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事実上の国葬で送り出されたルチアーノ・パヴァロッティ。
71歳までの彼の足跡から映像まで。
やはり見逃せないものがありますね。
彼は“キング・オブ・ハイC”“神に祝福された声”と評された豊麗な美声、
申し分ない声量、明晰な発音、輝かしい高音が魅力の名テノールであった。
20世紀後半にクラシック音楽界が輩出したまさにスーパースターの1人と言える。
ルチアーノ・パヴァロッティ(Luciano Pavarotti、1935年10月12日 - 2007年9月6日)は
イタリアのテノール歌手で、オペラ歌手では最も著名な1人。
生まれはイタリアのモデナ。
父親はパン焼職人の傍ら、才能あるアマチュア・テノール歌手でもあった。
同郷で同い歳の名ソプラノ歌手、ミレッラ・フレーニとは幼なじみの上、
同じ乳母によって育てられた。師範学校を卒業後、声楽を学ぶ。
1961年にレッジョ・エミーリアの声楽コンクールで優勝し、
同年4月29日、同地の市立劇場で『ラ・ボエーム』のロドルフォ役を歌い、
オペラの初舞台を踏んだ。
この役はその後彼の十八番となり、1963年にはウィーン国立歌劇場と
ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウス(コヴェント・ガーデン)に、
1964年にはミラノ・スカラ座にそれぞれロドルフォを歌ってデビューを飾っている。
1964年にはオペラ・アリア集をデッカ社に録音、レコード・デビューも果たす。
彼が世界的名声を不動のものとしたのは1972年2月17日にメトロポリタン歌劇場で
ドニゼッティの『連隊の娘』に出演したときで、パヴァロッティはトニオ役の
アリアでハイ-C(高い「ハ」音)を9回苦もなく歌ってのけ、聴衆を熱狂させたこと。
輝かしい高音を持つリリック・テノールとして彼は名声を確立し、
「キング・オブ・ハイC」という異名をとるに至った
(※このニックネームは彼が録音したアリア集の題名に由来する)。
パヴァロッティはしばしばテレビに出演して大衆的な名声を得た。
1977年3月の番組『ライブ・フロム・メト』に初めて出演してロドルフォを歌い、
かつてテレビで放送されたオペラ上演中最大級の視聴者を魅了した。
パヴァロッティは故・ダイアナ妃と親しく、世界の地雷除去のために寄付もしている。
彼はダイアナ妃の葬儀で歌うよう招待されたが、とても悲しくて歌うことはできないと
これを辞退したのは有名な話だ。
2004年3月、69歳でメトロポリタン歌劇場において『トスカ』のカヴァラドッシ役を
演じたのを最後に、オペラ上演からは引退。
また同年より、世界中を巡る引退コンサート・ツアーを開始(東京からスタート)。
2006年のトリノオリンピックの開会式では『トゥーランドット』の「誰も寝てはならぬ」を歌い、
開会式の掉尾に花を添えている。
同年、膵臓がんが見つかり手術を受けたが、
2007年9月6日、モデナの自宅にて腎不全により死去した。71歳だった。
パヴァロッティのサイト
トリノオリンピックでの「誰も寝てはならぬ」映像
Luciano Pavarotti Nessun Dorma (turandot) Torino 2006
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2007.09.08 | Comments(0) | Trackback() | 定年後趣味・興味
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