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定年退職を続々と迎える団塊世代。 定年退職後の生活費はいくらかかる? 年金はどうやって確認したらいい? 定年退職しないで、まだまだ働くにはどうしたらいい? 趣味と実益を兼ねて 有益な情報をお届けします。
団塊世代の私も、定年退職前には、
ODAの意味というのが、日本にとって
いろいろな意味をもたらしていたのを見てきました。
ODAとは政府開発援助(Official Development Assistance)。
すなわち、先進工業国の政府及び政府機関が、発展途上国に対して行う援助や出資。
日本のODA出資額は、2007年は約7,800億円もあり、
金額ベースでは、アメリカ、ドイツ、フランス、イギリスと続き、5位の額。
しかしながら、このODAは、財務省の財政アンケート調査結果によると、
道路・年金等に次いで「減らすべき予算」第2位にランク・インしていて
削減圧力にさらされています。
さて、このODAのはじまりというのは、1945年12月、
戦後の世界の復興と開発のために、国際通貨基金 (IMF) と
国際復興開発銀行(IBRD、通称「世界銀行」)が設立され、
1947年6月には、欧州復興計画(マーシャル・プラン)の構想が発表。
アメリカの支援によって、ヨーロッパは目覚しい復興を果たした、というのがあります。
日本も、敗戦後の1946年から1951年の間に、
アメリカの「占領地域救済政府資金」 (GARIOA) と
「占領地域経済復興資金」 (EROA) から約50億ドルのODAが援助され、
カナダ、メキシコ、チリ、ブラジル、アルゼンチン、ペルーなどからも
生活物資や食料などが援助されています。
1953年には、世界銀行から多国間援助である有償資金を使用し、
東海道新幹線、東名高速道路、黒部川第四発電所などを建設したわけです(1990年に完済)。
日本からODAを拠出したのは、1954年にビルマと結んだ
「日本・ビルマ平和条約及び賠償・経済協力協定」での賠償供与が初めてで、
その後、フィリピン、インドネシアと経済協力は続ていきますが、
初期の日本のODAは戦後賠償としての意味合いが強かったといえます。
1960年代の高度経済成長に入ってからは、
徐々に現在のODAの体系に近づき、拠出額も増大。
2001年には、日本は世界第一位の拠出額を誇り、
毎年1兆円あまりが様々な国に供与されたわけです。
日本がODA大国となった理由としては、
日本企業進出を円滑にするためというのがありました。
この典型例が、中国へのODAが挙げられます。
また、軍事的貢献に代わる貢献策として、
日本が軍事的な国際貢献をできないことや、
巨額の対米貿易黒字を貯め込んでいることへの
アメリカ世論の批判をかわすため、
軍事力に代わる国際貢献の手段としてODAに傾倒してきたともいわれています。
さて、そんな巨額のODAの周辺で不正流用や
一部利権者へカネが流れる、ということが
明るみになってきています。
年金や医療。
これらでお金が足りないから、国民へ負担増を……
といっている中での、こうしたODA問題。
いろんなものが放置されてきたツケが
今の政権で噴出しているように見えますね。
▼ODAの闇
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2008.08.04 | Trackback() | 団塊世代の一言
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