忍者ブログ

団塊世代に贈るアイテム

210mmの本物のピアノ!
グランドピアニスト

ウルトラマン40周年腕時計 
ロードスター311タイプ3

出発!特大トレインバンク
リサイタル音源で蘇る
▼美空ひばりジャズを唄う

1/500ライトアップ東京タワー

フリーエリア

プロフィール

HN:
masa
性別:
男性

アクセス解析

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2025.02.26 |

海外進出に意味のあったODAと腐敗した利権者

団塊世代の私も、定年退職前には、
ODAの意味というのが、日本にとって
いろいろな意味をもたらしていたのを見てきました。


ODAとは政府開発援助(Official Development Assistance)。
すなわち、先進工業国の政府及び政府機関が、発展途上国に対して行う援助や出資。

日本のODA出資額は、2007年は約7,800億円もあり、
金額ベースでは、アメリカ、ドイツ、フランス、イギリスと続き、5位の額。

しかしながら、このODAは、財務省の財政アンケート調査結果によると、
道路・年金等に次いで「減らすべき予算」第2位にランク・インしていて
削減圧力にさらされています。

さて、このODAのはじまりというのは、1945年12月、
戦後の世界の復興と開発のために、国際通貨基金 (IMF) と
国際復興開発銀行(IBRD、通称「世界銀行」)が設立され、
1947年6月には、欧州復興計画(マーシャル・プラン)の構想が発表。

アメリカの支援によって、ヨーロッパは目覚しい復興を果たした、というのがあります。

日本も、敗戦後の1946年から1951年の間に、
アメリカの「占領地域救済政府資金」 (GARIOA) と
「占領地域経済復興資金」 (EROA) から約50億ドルのODAが援助され、
カナダ、メキシコ、チリ、ブラジル、アルゼンチン、ペルーなどからも
生活物資や食料などが援助されています。

1953年には、世界銀行から多国間援助である有償資金を使用し、
東海道新幹線、東名高速道路、黒部川第四発電所などを建設したわけです(1990年に完済)。

日本からODAを拠出したのは、1954年にビルマと結んだ
「日本・ビルマ平和条約及び賠償・経済協力協定」での賠償供与が初めてで、
その後、フィリピン、インドネシアと経済協力は続ていきますが、
初期の日本のODAは戦後賠償としての意味合いが強かったといえます。

1960年代の高度経済成長に入ってからは、
徐々に現在のODAの体系に近づき、拠出額も増大。

2001年には、日本は世界第一位の拠出額を誇り、
毎年1兆円あまりが様々な国に供与されたわけです。

日本がODA大国となった理由としては、
日本企業進出を円滑にするためというのがありました。

この典型例が、中国へのODAが挙げられます。

また、軍事的貢献に代わる貢献策として、
日本が軍事的な国際貢献をできないことや、
巨額の対米貿易黒字を貯め込んでいることへの
アメリカ世論の批判をかわすため、
軍事力に代わる国際貢献の手段としてODAに傾倒してきたともいわれています。

さて、そんな巨額のODAの周辺で不正流用や
一部利権者へカネが流れる、ということが
明るみになってきています。

年金や医療。
これらでお金が足りないから、国民へ負担増を……
といっている中での、こうしたODA問題。

いろんなものが放置されてきたツケが
今の政権で噴出しているように見えますね。

▼ODAの闇
 

【関連・イザ!】
【疑惑の濁流】中国に消えた100億円 聖域化で腐った「遺棄化学兵器」
PCI前社長ら逮捕へ わいろ総額2億7000万円か
PCI贈賄「前社長が指示」 元常務が供述、東京地検詰めの捜査
PCI、内閣府に3億円返還へ 兵器事業詐欺の不正利益
【Re:社会部】PCI事件のつめ跡
「わいろは受注額の10%」PCI元幹部供述 相場の倍払う

PR

2008.08.04 | Trackback() | 団塊世代の一言

« | HOME | »

忍者ブログ [PR]